アニメ艦これ大井問題への批判1・話している相手が違うなら態度が違うのは当たり前

タイムラインで、「間宮を使ったことがないので、アニメの子たちがしょっちゅう間宮で甘味を食べているのを見て、新鮮に感じた」という旨のツイートを見かけた。なるほど、確かに私も、勿体ながって給糧艦を使えていない。ゲームに引き寄せて考えれば、アニメの提督は、重課金かなにかで間宮を、艦娘たちが自由に使えるようにしているだけでも私なんかよりよっぽど有能である。

さて、私は艦これアニメを十二分に楽しんでいる。いままででもアニメへの批判コメントにはついったでぶつぶつと反論してきたのだけれど、ガチレズ大井botとアニメ大井問題 - Togetterまとめのまとめを読んだ結果、いてもたってもいられなくなり、このようなエントリを起こす次第となった。
全三回のうち、まずは言いたいことをまとめてみたいと思う。

  1. アニメの大井がゲームの大井と人格が違っているように思えるのは、ゲームでは提督相手に話しているが、アニメでは艦娘たち、吹雪を相手に話しているからである(話している相手が違うなら態度が違うのは当たり前)
  2. ガチレズ大井botがアニメをはじめとした公式に影響を与えた事実はない。が、彼女の偏見に満ちた発言、とくにアンチヘテロ・ミサンドリ―的な発言を無邪気に受け入れることはできない。そして、悪いレズは叩かれるが、ガチレズ大井botはいいレズだから許される、と考えるべきではない(ガチレズ大井bot批判)
  3. 「男性が想像するレズ像だから本物の百合ではない」「変人枠だから本物の百合ではない」「他のキャラに冷たく好きなキャラにだけべたべたするのは百合ではない」というけれど、それはあなたの中の百合と違うだけで、百合ジャンルにはどんな百合をも受け入れる可能性がある(百合の可能性を狭める者たち)

では、今回は項目1についてみていこう。

話している相手が違うなら態度が違うのは当たり前

原作の大井、つまりゲームの大井を思いだしてみよう。澄ました声で初対面の挨拶をしてきたかと思えば、すぐに提督に対して黒い一面を見せる、いかにも扱いにくそうなおひとであった(ただしすごく強い)。母港でクリックすれば、「提督?この手はなんですか?何かの演習ですか?撃ってもいいですか?」。中破以上の入渠では「ちっ、なんて指揮……あっいえ、なんでもありませーん。うふふっ」なんてことも言ってくる。
上司であるはずの*1提督に対しても大井は不信と自負からくる嫌悪を隠し切れていない、鼻っ柱の強いお嬢さんなのだ。上司にすら黒い面を見せる彼女が、鎮守府の新入りである駆逐艦に、いちいち外面を取り繕ってみせる必要がどこにあるのだろう?
大井にとって、鎮守府に何十人と居る駆逐艦に対する態度(アニメ)と、上司である提督に対する態度(ゲーム)が異なるのは当たり前である。しかも、方向性としては全く違ったものでもない。
また、ガチレズ大井botにこのようなツイートがあった。


「レズが美少女にあそこまで冷淡になれるとはとても」というけれど、さて、吹雪への反応だけに絞ってみても、果たしてアニメの吹雪は美少女なのか、という問題が存在する。ここでは1話、アニメではかなりの美少女として描かれている夕立の「ふつうっぽい」という発言を引きたい。艦娘のうち、吹雪が目を引くような美少女に相当するかどうかははなはだ疑問だし、黒髪の、(元はしばふデザインの)垢抜けていないタイプの少女――こう書けばおわかりいただけるだろうか、大井のお相手、北上と吹雪の見た目はかぶっているところがあるのだ*2。愛しい北上さんの前で、北上さんと似たような属性を持つ小娘を、果たして大井はまともに相手するのだろうか?
この項目に、私がアニメ大井問題へ怒りを抱く最大の原因がある。
アニメの大井が、ゲームの大井と違う。そんな批判をしているひとたちは、みな、アニメにおいて大井の会話の相手が、吹雪以下艦娘であることを無視しているとしか思えないのだ。「吹雪を前にした大井」と「提督を前にした大井」の対応が違うのは当たり前で、それでもなお、「大井のキャラが違う!」と叫ぶひとは、大井の会話の相手である吹雪の存在を無視しているとしか思えない。必要なのは、違いについて怒ることではなく、なぜ吹雪を相手にした大井があのような態度になるのか、考えることだったのではないか。
アニメでは、いろんな艦娘の結びつきが描かれている。水雷艦隊、赤城さんと吹雪、金剛姉妹と吹雪、加賀と吹雪、瑞鶴と吹雪……etc
だから原作での、提督に対する彼女たちの態度と、アニメでの吹雪に対する彼女たちの態度とで、「キャラが違う」のは当たり前で、「キャラが違う」と怒るひとたちは、みんな当たり前のように会話の相手、吹雪を無視している。
主人公とはいったいなんなのだろう、と思った。問題の5話では、いろんな艦娘と交流して、彼女たちを結びつける、というまさに主人公らしいことを吹雪はやってのけたわけだけれど、原作とキャラが違う、と喚くひとたちに、ゲームでは描かれなかった新しい結びつきは完全に黙殺されている。

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さて、大井の性格を語る上で、もうひとつ。大井問題関連の議論で目立った「クレイジーサイコレズ」という言葉について記しておきたい。
反吐が出るほど嫌いなこの言葉が、自分の行動を抑制しない、奔放なまでに愛情を鋭く見せるキャラクタたちについて言われはじめたのはいったいいつからだろうか。
くだんのまとめのなかで、こんなツイートがあった。


「理解不能のクレイジーサイコパス」という言葉が、ひどく重い。
アニメの大井は、確かに理解しにくい女の子だ。けれどいくら彼女が理解しにくい女の子であっても、自分が理解できないからといって、大井に「クレイジー」というレッテルを貼る行為は、暴力に近いと思う。
あなたが理解できない相手はあなたにとってクレイジーなのかもしれないが、万人にとってクレイジーというわけではない。
突き詰めて言えば、アニメのキャラクタを理解することを、私たちは求められていないと思う。アニメの大井が視聴者に理解して欲しいからという理由で、あのような振る舞いを見せているわけでは決してない。理解できないものを理解できないままにしておくことは、昨今、ひどく難しくなってしまったらしい。
(なお、クレイジーサイコレズという言葉への批判は、このシリーズの最終項「百合の可能性を狭める者たち」でもあらためて取り上げたい)

*1:私は提督は艦娘にとって上位の存在であり、艦娘は提督に逆らえない、という価値観を嫌悪しているが、ここでは艦娘の上司が提督である、という一般的な価値観を便宜的に採用させてもらう

*2:同じくしばふデザインですが、加賀さんは年齢が少し遠い