『劇場版 艦これ』の感想(ネタばれあります)


『劇場版 艦これ』本予告


(2016年11月29日に加筆修正しました)


『劇場版 艦これ』を見た。
物語はテレビアニメ終了後からはじまる。吹雪・睦月・夕立ら三人娘をはじめショートランド泊地を拠点として集結した艦娘たち。南方海域の敵輸送部隊を壊滅させた旗艦鳥海の第八艦隊の帰還を援護する部隊は、一部海域が血の色に染まっていることを発見する。そして、援護任務から戻った睦月を待っていたのは、轟沈したはずの如月が泊地に帰投したという報告だった。
睦月は如月との再会を喜ぶが、如月の体調は芳しくない。加えて、鎮守府の中枢を担う秘書官長門陸奥・赤城・加賀・金剛・大淀は如月に関する何らかの情報を最高機密に指定する。一方、艦娘の艤装を蝕む性質を持つ変色海域は、潮の流れにのっていまにもショートランド泊地にまで迫ろうとしていた。
折しも南方海域への敵大規模機動部隊の来援が確認され、提督不在の鎮守府は喫緊の対応を余儀なくされる。変色海域が現在のペースで拡大し続ければ、泊地からの出撃もままならなくなることを考慮し、長門は24隻もの艦娘が参加する一大作戦の展開を決定する。作戦目標は変色海域中心である鉄底海峡の調査及び敵部隊の殲滅。このように、南方ソロモン海域における大規模な艦隊決戦の火蓋が切って落とされたのだが――。


ストーリーとしてはテレビアニメ『艦これ』の完全なる続編である。メインの筋が「帰還した如月と睦月の絆」と「吹雪を中心とした変色海域での戦い」のふたつあるのだが、これらはあまり絡まり合わず、ほとんど別々に進行する。
メインで泣かせにくるのが睦月と如月の筋。睦月がぼろぼろと大粒の涙を流す隣で如月がつられて薄い涙の膜を浮かべる場面がたたみかけるようにくり返される。そして睦月は、何度も何度も如月に手を触れて、抱きしめる。指先の表現が繊細なこと。冒頭、帰還した如月とはじめて対面したとき、一度頬に手を添え、離し、もう一度添える手にようやく如月の指がおそるおそる触れる場面など、もうたまらなかった。こんなん泣くに決まってるわ。
ともあれ、睦月と如月のストーリーは最後まで、ある意味では変色海域の戦いから浮いた存在として扱われるが、この扱い方がまた、彼女たちの間に存在する特別なものを浮かび上がらせているようで好ましい。そしてまた、変色海域の戦いが結果として彼女たちの間の問題に偶然重なって、偶然解決に繋がるのが非常に私の好みの展開だった。*1


もうひとつ中心となる筋が変色海域での戦い。アイアンボトムサウンド攻略である。この下りはまず、艦これでのイベント攻略を映像として比較する楽しみがある。最近のイベントで導入された、海域攻略後の、赤く染まっていた海が青くなる演出の意味がわかったことがすごくうれしかった。艤装が勝手に傷つく、どくマップみたいな要素がゲーム導入されたらやってられないんだけども……。
映像としても、長門に集められた艦娘たちが戦う様がとにかく格好よくて(勿論戦闘シーンはアイアンボトムサウンド関連だけではないけれども)、これを劇場で見られただけでも1800円払ったかいがあったというものである。テレビアニメが吹雪をはじめとする駆逐艦の戦いを中心に描いていたせいか、劇場版では水雷戦隊の活躍がソロモンの悪夢こと夕立以外にほとんどないのだけが残念だった。しかし、テレビアニメでは見られなかった重巡の戦い方、連合艦隊でお互いをかばい合う艦娘、探照灯と照明弾の大活躍、相変わらず可愛い妖精さんの存在、はたまたお約束の肉弾戦などなど、劇場版ならではの見所は山ほどあり、なんなら戦闘を見ているだけでも泣ける。


考えてみれば、艦娘たちの戦いで泣けるのは当たり前のことでもある。アニメ艦これと同様、劇場版艦これでも、戦いの意味が問われつづけ、ひとつの回答が提示される。戦うことの意味を吹雪が追い求める様子は、自身が生きる=海の上で沈まずに戦い続ける理由を追い求めているようでもある。
私は、艦娘にとっての戦いとは、自己実現そのものだと思っている。劇場版のアイアンサウンドボトム戦では、これまでテレビアニメ・劇場版双方で描かれてきた艦娘の絆が絡まり合って噴出する。絆といっても、既知のものではなく、アニメがなければ知り得なかったような絆が心を打つ。艦娘たちが、自分で考え、自分なりに一生懸命、自分らしく行動している場面が続く。
たとえば、金剛が対空射撃で瑞鶴を守るシーン。それは、アイアンボトム攻略準備の際の、三式弾の準備を、という妖精さんたちへの指示とも繋がっている仕草として観客の前に立ち現れる。航空戦隊内で戦艦としての役割を存分に果たした金剛が浮かべる得意げな笑顔はいかにも金剛らしい。
たとえば、比叡が探照灯を使うシーン。つい先ほどまでは前に進むべきかどうかの判断も迷っていたのに、敵に相まみえた瞬間に彼女は自身が狙い撃ちされるのにもかまわず、大和の攻撃を生かせるよう、探照灯のスイッチを入れる。「ありがとう、比叡さん。これで見えます」の台詞は、だからこそ感動的である。
艦これプレイヤーは、通常海域にしろイベント海域にしろ、自身の判断もしくは攻略情報に合わせて送り出す艦娘たちを編成する。そこに艦娘同士の、既知の絆の要素(金剛四姉妹や、大和と矢矧といった)は上手く当てはまるときもあるし、効率的なプレイのためにあえて取り入れられない場合もある。劇場版の艦隊でも同様に、絆で結ばれた艦娘たちの組み合わせ(一航戦と五航戦)と、上で例に挙げたような偶然の組み合わせの双方が描かれている。そうして後者については、私は、自分が見たいものを見せてもらった、と思っている。つまり、ふだん一緒にいることはないと推測される相手どうしであったとしても、艦娘どうしの間にはやはり、揺るがぬ絆が存在する。お互いに協力し、しかし自分らしく戦うことは、艦娘たちにとっては、当たり前のことなのだ。
誰にも気負わずに自分らしく行動する女の子たちが協力し合ってひとつの目標のために動く姿が見られたら、もう、彼女たちの実在性を確信するしかないし、涙を流すしかない。


アニメを含めて、艦これの映像化にはたくさんの愛すべき突っ込みどころがあった。シリアス一辺倒の映画でも同じで、「秘書官の長門だ」っていう名乗りだけで笑えるとか、瑞鶴おまえ木登りできないのかよとか、瑞鶴がお姉ちゃん通して加賀さんと話す童貞みたいなムーヴとってたとか、その加賀さんは加賀さんで五航戦の両方を五航戦って呼んでてどうやって区別つけるねんとか、青葉のなぞのカメラポーズから考えたら衣笠さん青葉にウィンクしてるってことはおまえらつきあってんのかとか、祭りでのローストビーフとあんみつの落差とか、そりゃもうたくさんある。挙げればきりがないほどいくらでもある。でも、そんな、こちらの予想をいちいち裏切ってくる艦娘たちの行動すべてが、艦娘たちが実在しているんだってことを証明しているようで、愛おしくてたまらない。
先に挙げたふたつの筋はある。けれども、『劇場版 艦これ』を駆動させてるのは筋ではなく、艦娘が積み重ねてきた絆と、彼女たちの行動である。映像化された艦これは、そんな作品だったと思う。


最後に、これは何回でも言いたいんだけど、モールス信号打電で会話する川内神通がくっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっそエロいです

*1:なお、パンフレットにはネタばれ注意の文字が書かれているが、一番肝心なネタばれについては記述されていないため上映前でも安心して読める仕様となっている。というかネタばれ注意って書くんだったらそこは載せておいてほしかった。すごくすてきだったので。